30年ペーパードライバーのアラフィフが、中型大型免許を一気に取得して、北海道ツーリングに向かったわけ_1.副業はモビルスーツのパイロット
001.副業はモビルスーツのパイロット
コロナになって1年。
仕事の大半をテレワークで行っていた私は、1年のほとんどを家の中で妻と9歳になる黒猫と一緒に過ごしていた。
海外でロックダウン等の噂が流れ出した時に、こもる気満々でPS4を買っておいたので、
ZOOMでクライアントの会議に参加 → リックディアスで出撃
事業シミュレーションを作ってクライアントに送付 → ガンダムMKⅡで出撃
マーケティング&SEOプランをteamsでクライアントに説明 → マドロックで出撃
と、すっかりバトオペ2(ガンダムバトルオペレーション2)の沼に浸かってしまい、
本業はモビルスーツのパイロット(無収入)
副業はコンサルと顧問
いや、
本業はコンサルと顧問
副業はモビルスーツのパイロット(無収入)
という生活を1年ほど送っていた。
さすがにこれだけだと気持ち的にもおかしくなりそうなので、妻と買い物や外食、少人数の会食等にはでかけていたけれど、
「2020年は何をして過ごしていました?」
と尋ねられれば、まっすぐに相手を見て、
「MSのパイロットして4,000回以上出撃しておりました!( ー`дー´)キリッ」
と直立不動で敬礼してしまうくらい、昼夜を問わずMSのコクピットで過ごしていた。
明けて2021年。
エクセルにどのMS × 環境での勝率が一番高いかどうか、勝率表を作っていた私は職業柄、一年でどのくらいの人日(工数)をMSのコクピットで過ごしているかどうか気になって、思わずやってはいけない計算をしてしまった。
・・・
これまでに失われていった膨大な人月がそこには数値として表されていた。
「なんてこった」
シジュウハチにもなって、対戦ゲームにここまで時間を無為に浪費するとは…
元々学生時代は、餓狼伝説、ストⅡ、バーチャファイター、鉄拳、ラストブロンクス、ファイティングバイパーズ、電脳戦機バーチャロン、電脳戦機バーチャロンマーズ、連邦vsジオン等々、一日一回はゲーセンの対戦台に座っていたので、そういう素養自体はあったのは知っていた。
そして、これまでで一番ハマったコンソールゲームは、「機動戦士ガンダム戦記(PS2)」と「機動戦士ガンダム コロニーの落ちた地で(ドリキャス)」である。
バトオペの底なし沼にはまらないわけがない。
オンラインゲームとしては、PC版初代ディアブロや、ドリキャス版PSO以来の時間の浪費のしかたであった。
しかし、私の脳はすっかり、バトオペで与ダメ(敵に与えたダメージ)が上位で勝つことでしか得られない脳汁(ドーパミンとか)にすっかり依存してしまっており、おいそれとPS4のコントローラを手から離す、もとい、MSのコクピットから降りることができなくなっていた。
この依存症の形はパチンコ、スロットとも酷似しており、やばさはよく分かるのだが、なにか終わる毎にPS4にモニタを切り替えてしまう。
そんな折、久しぶりに連絡のついた、大学時代の一番親しい友人と、彼の自宅で飲むことになった。
聞けば、ちょっとした屋上があるので、そこでBBQなどしようというのだ。
家族はどうしたと聞くと、娘が北海道の学校に入学したので、妻もついていって、今は一軒家に一人だという。
再婚の彼だが、どうやらまた何かあったなとは思った。
ここ一年ほど、連絡があまりつかなかったのも何かを暗示していた。
家に行く途中、寄りたいところがあるというので付いて行くと、そこはバイク屋だった。
聞けば中型免許取得で教習所に通っているという。
仕事は鉄道系デパートの社員なので休みも不定期だし、基本出社しなければ仕事にならないのかと思っていたのだが、最近は週の大半を在宅ワークしているらしい。そして在宅ワークを機会に、近くの教習所に通っているという。
奥さんが北海道に行く際に車を持っていてしまったので、バイクを買うのだと楽しそうに話していた。
これは、2回目の離婚もありえるな…
とは思ったが、口に出しては言わなかった。
中古でもう予約してあるというそのバイクは、CBR400Rの2019年モデルだった。白い現代的なデザインのカウルに赤いラインのデザインがかっこいい。
基本的には昭和に受けた教育そのままの、まじめばかりが取り柄で、なにかといえば陰にこもる性格の彼にしては、バイクに乗るという選択肢はある意味アグレッシブなものだった。
一方で、家でモビルスーツに搭乗するか仕事をしているかの自分が、なんだかとても小さな世界にまとまろうとしているような気がした。
そして、正直とてもうらやましいとも思った。
しかし、私は高速道路も教習以外では走ったことのないPD(ペーパードライバー)だ。
19歳で車の免許はとっていたが48歳になるまでに、車を運転したのは24時間に満たなかったと思う。
自分で運転して一番距離を走ったのは、31歳の時にこの友人を助手席に乗せて向かった、松戸のガンダムミュージアムだ。
この時は、あまりの私のPD(ペーパードライバー)ぶりに、
「二度と乗りたくない」
と青ざめた顔で言われたのを良く覚えている。
ちなみに妻には、私が車を買っても、
「絶対、乗らない」
と言われている。
大体、都内に住んでいると、車を持つ必要性をあまり感じなかった。
19歳で車の免許を取った時は、通っていた合気道の師範がいらなくなった50ccのジャイロX(2st)をくれたので、大学時代は車に乗らずにジャイロXばかりに乗って、都内を走り回っていた。
今より時代がおおらかだったので、まあ便利だったこと。どこに行くにもジャイロXで走って行った。
社会人になってから、近所の友人が中型免許をとった際、とても羨ましかったのも思い出す。仕事が忙しすぎて教習所などに通うのは到底無理だったので、週末にバイク屋に行って、50ccのHonda soloを衝動買い。等々力から外苑前にある会社まで、目黒通りから外苑西通り走って、1年ほど通勤で使っていたこともあった。
最近毎晩のように見ていた、やたらと赤いフルカウルのSS車に乗って、環七と246の交差点辺りのお店から走り出し、操作できずに前の車に突っ込む夢を、定期的に見ることも気になっていた。その夢に出てくるSSは、大分経ってから近所のDucatiで見たパニガーレにそっくりだった。
いや、それ以上に、高校時代に大流行したレーサーレプリカの数々。
あの憧れだったあのトリコロールカラーのホンダVFR400R。
友達の乗っていた、白と紫とエメラルドグリーンのAX-1ですら相当羨ましかった。
北海道ツーリングにも行ってみたかった。
いつか行こうと思っていたら、もう既に50歳手前である。
いつ行くんだよ、お前。
60になっても、いつか行こうとか思ってんのか。
某通信会社のポータルサイトで仕事をしていたときは運転もしないのに「自動車&バイク」のカテゴリディレクターを他のカテゴリと兼務しており、毎年モーターサイクルショーに取材にも行っていた。
あのギラギラのロードホッパーにはじめて跨がった時の、得も言われぬ股ぐらから湧き上がる躍動感も思い出す。
そして、昨年、日曜美術で見て衝撃を受けた「シゲチャンランド」にも行きたかった。自分で「岡本太郎現代芸術賞」のような作品群を作り出して北海道の牧場に美術館を作ってしまった、超かっこいい髭のおじさんのいる場所だ。
「生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない」
俺の心の中の、岡本太郎が出てきてそう言った。
「どの色もみんな好き。特に赤とか空の色とかが好き」
俺の心の中の、草間彌生も励ましてくれた。
「死後の世界はあ~るんです。私は死ぬのはちぃ~っとも、怖くない」
丹波哲郎はお花畑を渡って、大霊界に行けたのだろうか?
色々な思いが走馬灯のように、俺の頭に交差していった。
思い立ったが吉日。
MSのコックピットを降りるときがようやく来たのだ。
まずは、近場の教習所探しからスタートだ。
俺はそのバイク屋で、ニカニカ笑い目の笑顔を友人に向けると、決意に満ちた声でこう言った。
「俺も、バイク免許取るぜ」
To be continued.